原題名は「エネミー・オブ・ステイツ」。
日本人の「アメリカ」と言う言葉から感じる印象よりアメリカ人の「ステイツ」と言う言葉の感じ方は、結構、違うような気がする。
それは、日本人の「国」に対する意識の違いだともいえそーです。
たぶん戦前の日本人の感覚に近いような気がする。
いいことか、悪いことかは別としての話。
ウイル・スミスは、ハリウッドが生んだ「かっこいい黒人」スターです。
今までの黒人スターは、容姿で売るということはなかったです。
身近なところでは、エディ・マーフィーがいますが、彼はコメディアンとして売れたのであって、アイドルとして売れたわけではないですから。
ストーリーに関しては、いろいろと突っ込みやすい作品なので、あえてそれは書きません。
この作品の最大の肝は、主人公ディーン(だったよな)のポジションです。
まず黒人であると言うこと。それも弁護士というホワイトカラーを象徴するような知的で立派で教養がある黒人であると言うこと。
アメリカの人種問題はとっても根深いです。黒人という言い方がすでに人種差別になります。
で、何がいいたいかというとウイル・スミスを主人公にした最大のねらいはなんだったのか?
なんでウイル・スミスなの?
なんで黒人なの?
別に、ウイル・スミスが嫌いなわけでも、黒人が嫌いなわけでもありません。
言い方をかえるなら白人の二枚目俳優じゃなぜいけないの?
ハリウッドには、映画を撮るために守らなければいけない約束事があります。
その中にカラーズの起用というのがあります。
昔のハリウッド映画のように出演者全員が白人というわけにはいきません。
ふぅ。
表面だけを見ていると、とっても良くできたハイテクサスペンス映画です。
でも作り手は、そこに大きな問題提起をしているような気がします。
ウイル・スミスがこの映画で初めて登場するシーンがあります。
労働組合とマフィアのつながりについての仕事依頼なんですが、(のちのち「ビデオテープ」という部分の伏線のためと思われがちの話です)ここで、彼は依頼者の言葉「イタリア人」を訂正するのです。
「イタリア系アメリカ人」と。
映画ではよくある話です。
人種問題に敏感な国の当たり前のような会話。
個人の権利を主張している映画なのに、見える物は人種差別の問題。
ジーン・ハックマンが、愛する人を殺されて悪者に詰め寄るシーンがあります。「なんで殺したんだと」。
ここには深読みかもしれませんが「黒人」だから殺したのか、そんな風に聞こえてなりません。
日本に原爆を落としたときの話みたいに。
ちょっと、今回は堅かったですね。
たまにはいいかる
まぁ、そのぉ、もうすでにこの映画を見た人は、今度この映画を見る機会があったらそんなことを頭の隅にでもおいて見ているとちょっと違った「エネミー・オブ・アメリカ」に出会えるかもしれませんね。
まだ見ていない人は、そんなこと考えずに純粋に楽しんでみてください。おもしろい映画ですから。
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